茶筅という言葉
茶筅通し
点前で茶を点てる前後に、茶碗に湯または水を張って穂先を振ったり茶筅を上げ下げしたりする所作を茶筅通しと呼ぶ
。茶を点てる前は必ず湯を用い、茶碗を温めると同時に穂先を湯に馴染ませ柔らかくして折れにくくする効果がある。
一方、茶を点てた後は水または湯を用い、茶碗と茶筅を同時にすすぐことになる。そこで、点てる前を「茶筅湯じ」、
点てた後を「茶筅濯ぎ」と呼んで区別することもある。茶筅を上下するのは、穂先を目前で改めて折れや汚れのないこ
とを確かめる意味がある。茶筅を茶碗の縁において持ち替えながら上下を繰り返すが、このとき軽く音を立てる習いに
なっており、真言密教の灑水(しゃすい)の礼に由来した浄めの意味があるとされる。
茶筅供養
茶筅は数ある茶道具の中でも代替の効かないもので、技術の粋と精魂とを込めて作られる工芸品である。しかしその用
途から必然的に消耗品であり、本来ならば1回使い捨て、大事に用いても数十回も使えば穂が折れてしまう。そこで使い
終えた茶筅を焚き上げて感謝の意を示すのが茶人の習いとなっており、針供養、筆供養などと同様に茶筅供養と呼ばれ
ている。この目的で建立されるのが茶筅塚で、現在では全国各地に見られるが、これは大正から昭和にかけて広まった
比較的新しい習慣らしい。
茶筅髷 (男性)
安土桃山時代の若者に流行した髷。室町時代末期から現れ始め、江戸時代初期には見られなくなった。
青少年に行われる髷なので前髪は残して、月代は剃らないか極狭く、後頭部の髪を取って平打紐などで巻き立てて毛先
を散らす。時代が新しくなると月代も広くとるようになるが、これで前髪を落としたのがいわゆる「バカ殿」の髪型と
いえば分かりやすいだろう。コントの鬘なので巻き立てはかなり誇張されているものの、実際に身分をわきまえない派
手好きの若殿などに結うものがいたらしい。
ここまで言うと思い出されるのが、「尾張の大うつけ」こと織田吉法師(若き日の織田信長)である。彼の異様な風体
には豹皮の半袴や、猿回しのような縄の帯などに加えて、萌黄の平打紐で高々と巻きたてた茶筅髷が数えられている。
信長のように異様な姿をして遊びまわる若者達は自らを「傾き者」と称して、衣装や振る舞いの奇抜さを競った。派手
な髪型もその一つであったが、江戸幕府が開かれて世の中が安定期を迎えるにつれ「傾き者」たちも、彼らの奇抜な衣
装や髪型も廃れていった。
茶筅髷 (女性)
江戸時代の髷。主に大名、武家の未亡人の髪型。「貞女二夫に見えず」という貞操観念の表れとして、新しい夫のため
に髪を結うことが無いという決意を髷の先を断ち切って表現したものである。
一方町人の女性はというと、特に江戸時代前期は江戸の男女の人口比率の差が激しく幕府が再婚を奨励するほどだった
こともあってか、このような髪型は登場しなかった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
茶筅髷は安土桃山時代の前後に男性の間で流行したものと言われています。
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